ステージⅢ、そして摘出手術へ。病院で聞かされた“現実”

精巣腫瘍1st

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大学を卒業する直前、「精巣腫瘍(セミノーマ)」と診断された私。
医師から「お腹のリンパ節にも転移の可能性があります」と聞かされたあの日。
若くしてがんと向き合う現実、そして“片方を失う”決断について語ります。

■ 検査結果を待つ2週間の長さ

「大きい病院に行った方がいい」
そう言われてから紹介状を持って病院へ。
職場からも家からもちょうど良い距離にありました。

血液検査、尿検査、CT…。
まるで身体のすべてをスキャンされるような数日間でした。

結果を待つ時間は、人生で一番長く感じたかもしれません。
寝ても覚めても“がん”という言葉が頭をよぎる。
「もし転移していたら…」
「もし治らなかったら…」

22歳。
本来なら就職や恋愛で悩んでいる時期に、
自分は“生きるか死ぬか”を考えていました。


■ 診察室で聞いた「ステージⅢ」の言葉

結果を聞く日。
母と一緒に診察室へ入りました。

医師は淡々と話し始めました。
「悪性腫瘍であることは、ほぼ間違いないです。」
「お腹のリンパ節にも転移の可能性があります。」
「ステージで言うとⅢです。」

…頭が真っ白になりました。

母の表情が変わり、涙があふれるのが横目に見えました。
私はうなずくことしかできませんでした。

医師は続けます。
「まずは、左の精巣を摘出します。命を守るための第一歩です。」

“摘出”という現実。
その言葉の意味を、すぐには理解できませんでした。


■ 「片方を失う」ことへの抵抗

がんという事実よりも、
最初に頭に浮かんだのは“片方を失う”ということでした。

「自分はもう“普通の男”じゃなくなるのかもしれない」
そんな思いが強くのしかかりました。

もちろん、命が助かるならそれでいい。
でも、当時の自分には、
“命”よりも“日常”が失われることの方が怖かった。

冗談を言い合っていた友人たちの顔、
彼女の笑顔、未来への期待――
全部が遠ざかっていくような感覚でした。


■ 母の涙と、父の沈黙

診察が終わり、家に帰る車の中。
母はほとんど何も話しませんでした。
助手席の方を向いたまま、静かに涙を流していました。

父に報告したとき、最初は言葉が出なかったようです。
数分の沈黙のあと、ただ一言。
「ちゃんと治せ。」

短い言葉でしたが、
それがどんな励ましよりも胸に響きました。


■ 手術が決まる

病院を後にして1週間後、
正式に入院・手術の日程が決まりました。

2月の初め。
まさか、大学生活の最後を病院で迎えるとは思いませんでした。

手術までの日々は、
どこか現実味がなく、ただ時間だけが過ぎていきました。
でも心の奥では少しずつ覚悟ができていたのかもしれません。


■ 今、同じように不安を抱えている人へ

がんの告知は、
どんな言葉よりも重く、現実を突きつけられる瞬間です。

でも、どうか覚えておいてほしい。
“怖い”と思えるのは、まだ生きようとしている証拠です。

不安を抱えていい。泣いてもいい。
それでも前を向こうとするその気持ちこそが、
あなたを支える力になります。


■ まとめ:現実を受け入れるという第一歩

・「がん」という言葉を受け止めるのは簡単じゃない
・でも、それは“終わり”ではなく“始まり”
・受け入れた瞬間から、人生の意味が少しずつ変わっていく

あの日、ステージⅢと告げられた瞬間から、
私の人生は「守るべきもの」を見つける旅に変わりました。

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