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入院をしたことがないと感じない、体験できないことがある。
想像している以上に入院というのはつらい。
■ 「体が辛い」よりも、「心が辛い」
ギラン・バレー症候群の治療で入院していた頃、
私は初めて知りました。
「病気の辛さ」よりも、「入院生活の辛さ」のほうが心にくるということを。
体の痛みやリハビリの苦しさよりも、
心を蝕んでくる“3つの壁”があったんです。
■ ① 知らない人と同じ空間で過ごすストレス
私は4人部屋に入院していました。
もちろん「有料の部屋」ですが、個室ではないというだけでストレスは想像以上。
入院当初から同室だった年配の男性は、なかなかの“問題児”。
夜中にナースコールを何度も押し続けたり、
看護師さんにクレームをつけたり…。
仕切りのカーテン越しに、怒号や溜息が聞こえてくるたびに、
「ここに長くいるのか…」とため息が出ました。
“見えないけどずっと隣にいる他人”
これが地味にメンタルを削っていきます。
■ ② 暇すぎる時間との戦い
入院中の1日は、想像を超えて“暇”です。
朝6時に起床して、検温・診察・点滴。
午前中は検査などでバタバタするものの、
午後になると急に何もなくなります。
テレビを見るにも限界があり、
スマホもすぐに飽きる。
時間だけが永遠に流れていく感覚。
「休めていいね」と言われるけれど、
“やることがない”というのは、実は相当つらい。
私はコンビニで小説を何冊も買い込んで、
物語に逃げるようにページをめくっていました。
■ ③ 人と話せない「孤独」
入院中、看護師さんや医師と話すのは一日わずか数分。
それ以外はほぼ沈黙の時間です。
誰かに「今日こんなことがあった」と話すこともできず、
スマホを打つのも手が震えてうまくいかない。
“会話がない”というだけで、
人はこんなにも心が弱るのか――
その現実を思い知りました。
■ 唯一の楽しみ「病院食」
そんな中で、私が毎日楽しみにしていたのが「病院の食事」でした。
白米、味噌汁、野菜、牛乳パック。
見た目は質素でも、「誰かが自分のために用意してくれた食事」だと思うと、
心がじんわり温かくなりました。
普段は当たり前に食べていたご飯。
それが、「当たり前」じゃない。
入院して初めて、
「食べられること」「生きていること」のありがたさを実感しました。
💬 まとめ
・入院の辛さは「体」よりも「心」
・知らない人との空間・暇・孤独が、じわじわ精神を削る
・でも、そんな中でも「誰かが作ってくれた食事」が心を救う
💡 あなたへのメッセージ
もしあなたや大切な人が今、入院しているなら――
「話を聞いてあげる」それだけでいいと思います。
人は“理解されること”で救われる。
どんな励ましよりも、共感の言葉が支えになる。
そして、健康なあなたは、
今日食べたご飯を「おいしい」と感じられる幸せを、どうか忘れないでください。
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