ステージⅢ、そして摘出手術へ。病院で聞かされた“現実”

精巣腫瘍1st
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大学を卒業する直前、「精巣腫瘍(セミノーマ)」と診断された私。
医師から「お腹のリンパ節にも転移の可能性があります」と聞かされたあの日。
若くしてがんと向き合う現実、そして“片方を失う”決断について語ります。

検査結果を待つ2週間の長さ

「大きい病院に行った方がいい」
そう言われてから紹介状を持って病院へ。
職場からも家からもちょうど良い距離にありました。

血液検査、尿検査、CT…。
まるで身体のすべてをスキャンされるような数日間でした。

結果を待つ時間は人生で一番長く感じたかもしれません。
寝ても覚めても“がん”という言葉が頭をよぎる。
「もし転移していたら…」
「もし治らなかったら…」

22歳。
本来なら就職や恋愛で悩んでいる時期に、
自分は“生きるか死ぬか”を考えていました。

診察室で聞いた「ステージⅢ」の言葉

結果を聞く日。
母と一緒に診察室へ入りました。

医師は淡々と話し始めました。
「悪性腫瘍であることはほぼ間違いないです。」
「お腹のリンパ節にも転移の可能性があります。」
「ステージで言うとⅢです。」

…頭が真っ白になりました。

母の表情が変わり、涙があふれるのが横目に見えました。
私はうなずくことしかできませんでした。

医師は続けます。
「まずは、左の精巣を摘出します。命を守るための第一歩です。」

“摘出”という現実。
その言葉の意味をすぐには理解できませんでした。

「片方を失う」ことへの抵抗

がんという事実よりも、
最初に頭に浮かんだのは“片方を失う”ということでした。

「自分はもう“普通の男”じゃなくなるのかもしれない」
そんな思いが強くのしかかりました。

もちろん命が助かるならそれでいい。
でも当時の自分には、
“命”よりも“日常”が失われることの方が怖かった。

冗談を言い合っていた友人たちの顔、
彼女の笑顔、未来への期待・・・
全部が遠ざかっていくような感覚でした。

母の涙と、父の沈黙

診察が終わり、家に帰る車の中。
母はほとんど何も話しませんでした。
助手席の方を向いたまま、静かに涙を流していました。

父に報告したとき、最初は言葉が出なかったようです。
数秒の沈黙のあと、ただ一言。
「ちゃんと治してもらえ。」

短い言葉でしたが、
それがどんな励ましよりも胸に響きました。

手術が決まる

病院を後にして1週間後、
正式に入院・手術の日程が決まりました。

2月の初め。
まさか大学生活の最後の時期を病院で迎えるとは思いませんでした。

手術までの日々は、
どこか現実味がなく、ただ時間だけが過ぎていきました。
でも心の奥では少しずつ覚悟ができていたのかもしれません。

今、同じように不安を抱えている人へ

がんの告知は、
どんな言葉よりも重く、現実を突きつけられる瞬間です。

でも、どうか覚えておいてほしい。
“怖い”と思えるのは、まだ生きようとしている証拠です。

不安を抱えていい。泣いてもいい。
それでも前を向こうとするその気持ちこそが、
あなたを支える力になります。

まとめ:現実を受け入れるという第一歩

・「がん」という言葉を受け止めるのは簡単じゃない
・でも、それは“終わり”ではなく“始まり”
・受け入れた瞬間から、人生の意味が少しずつ変わっていく

あの日、ステージⅢと告げられた瞬間から、
私の人生は「守るべきもの」を見つける旅に変わりました。

この記事を書いた人
maromau

3度の大病(精巣腫瘍を2回/ギラン・バレー症候群)を経験。
「不安の中にも希望はある」をテーマに生きるヒントを発信しています。
病気のこと、お金のこと、感じたこと、気づいたこと、色々と発信をしていきたいと思います。

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